『伊勢物語』「東下り」を読む

【7月22日、8月5日に開催された2018年度鹿児島国際大学オープンキャンパスで実施された武藤那賀子先生の模擬授業を摘録します。】

『伊勢物語』「東下り」は、三河の八橋に行き、宇津の山を越え、富士山を見て、墨田川を渡るというものである。登場人物たちは、これらの場所で、何度も泣いたり嘆いたりしている。それはなぜか。

「東下り」は、三河の国、駿河の国、武蔵の国と下総の国の境というように、場面を大きく三つにわけられる。しかし、『伊勢物語』は歌が中心となった物語であり、「東下り」には四首ある。場面の数と歌数が合わないのは、国の意識とは別の土地意識が働いていると考えてよい。

明治初期以前の日本人は「個」の概念が薄いといわれている。古代人には、現代人のような〈私〉の感覚はない。『古事記』『日本書記』にあるイザナキ・イザナミの神話では、生者と死者の国の「境」は「黄泉平坂」という坂である。死者となったイザナミが生者の国に帰るには、この坂を越えなければならない。

現在でも県の境は道や川であることが多いが、当時もそれらは「境」であった。「東下り」の「境」に目を向けると、「水ゆく河」、「宇津の山」「富士の山」「いと大きなる河」が出てくる。さらに、和歌を見ると、「境」の数と歌数が一致することがわかる。この河をわたってしまったら、この山を越えてしまったら、「個」の概念の薄い登場人物たちは、平安京貴族である自分ではなくなってしまう。だからこそ、彼らは嘆いたり泣いたりする。

「水ゆく河」では全員が泣き、「宇津の山」では嘆いているものの、「富士の山」では、嘆いても泣いてもいない。これは、彼らが富士山を登っているわけではなく、横目に見ながら歩いているためと考えられる。一方、最後は、「いと大きなる河」が出てくる。彼らは、河のほとり、舟に乗ろうというときに侘しい思いにかられ、最後は、乗船している全員が泣く。武蔵の国を越えてしまうと、朝廷の権威の及んでいない陸奥の国は目と鼻の先である。未開の地に近づく恐怖、また、越えんとする河が、引き返すのも困難な大きなものであったということが、ますます彼らを泣かせている。

以上のことから、古代人の、現代人とは違う「個」の概念が、「東下り」において歌を詠むという行為、嘆く、泣くという行為につながっているといえる。大学の授業では、品詞分解も現代語訳も大事だが、それはあくまで基礎知識である。古文から何を読み解くことができるのか、現代にまでこの作品が残っている理由は何かを考えながら、作品を読むことが大事になる。

国際文化学科専任講師 武藤 那賀子(日本古典文学)