ここだからこそつながれる世界、ここだからこそ叶う夢


『ハムレット』、『ロミオとジュリエット』など、今でも世界中で上演、映像化され、見る人たちの心を動かすシェイクスピアの作品。国境も時代も、文化の違いの壁さえも越えて愛され続ける魅力は一体どこからくるのでしょう? シェイクスピア本人は何を考えて創作活動を行なっていたのでしょう?

ひとつだけ確実に言えることは、劇作家本人が最優先に考えていたことは、一人でも多くの観客を動員し、自分が書いて演じる芝居(シェイクスピアは俳優でもありました)を見せて喜ばせること、それによって自分たちの収入を少しでも増やすことだったということです。何百年も後の時代の、地球の裏側の観客や読者のことが彼の念頭にあったとは到底思えません。

それにもかかわらずシェイクスピアの作品は、ほとんど「グローバル」な「普遍性」を獲得しているかのように見えますが、それは本当に「それにもかかわらず」なのでしょうか? おそらくそうではないでしょう。「グローバル」で「普遍的」な永遠の名作を書こうとして、そんな作品が書ければ、話は簡単なのですが、実はそういうものではありません。「普遍」というものがあるとすれば、目の前の「特殊」な課題を掘り下げ解決することを通してしか、たどりつけないものなのです。

平昌オリンピックで銅メダルを獲得したカーリング女子日本代表チームが本拠地の北海道北見市常呂町に凱旋した時、メンバーの吉田知那美さんは挨拶を求められ、応援してくれた故郷の人たちを前に次のように語りました。「この町、何もないよね。小さい頃はここにいたら夢は叶わないんじゃないかと思ってました。でも今は、この町じゃなきゃ夢は叶わなかったと思います」

ここだからこそ叶えられる夢があり、ここだからこそつながれる世界がある。夢も世界も、ここではないどこかにあるはずと、私たちは考えがちですが、実はそれらに到達するための入り口は、私たちが見落としているだけで、案外目の前にあるのかもしれません。吉田選手の言葉もシェイクスピアのお芝居も、私たちにそのことを教え、そっと背中を押してくれているようです。

国際文化学科教授 小林潤司(イギリス文学)