追悼 伊地智啓さん(映画プロデューサー)

伊地智さんを招いて開催された学部主催講演会のチラシ(国際文化学部提供)

映画プロデューサーの伊地智啓さんが4月2日にお亡くなりになりました。「吉永小百合と同期」で入社した日活の助監督として映画人生をスタートした伊地智さんは、テレビ放送の普及を背景に急速に進む映画産業の斜陽化の中で日活がロマンポルノへと路線変更したタイミングでプロデューサーに転身。あふれる奇想に苦いユーモアの隠し味を利かせたマニエリスティックな怪作『わたしのSEX白書 絶頂度』(1976年、曽根中生監督)をはじめとするロマンポルノ作品を次々とプロデュースしたのち、日活を退社。セントラル・アーツ、キティ・フィルムに相次いで参加し、長谷川和彦、相米慎二といった鬼才監督たちとタッグを組んで、数々の名作を生み出しました。

長谷川監督の『太陽を盗んだ男』(1979年)の伝説的な壮絶な現場でプロデューサーとチーフ助監督として運命的な出会いをした相米監督とは、『翔んだカップル』(1980年)、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『お引っ越し』(1993年)など、日本映画史に残る傑作を次々に世に送り出すことになりました。キティ・フィルムから独立後は、ケイファクトリーを設立。日本を代表する芸能事務所の社長としても活躍されました。その回顧録『映画の荒野を走れ-プロデューサー始末半世紀』(インスクリプト)は、まさに昭和、平成の日本映画史、映像メディア史、芸能史の第一級資料と言っても過言ではありません。

第一線を引かれた後も、奥様の郷里である鹿児島市に移住し、映画上映会、映像ワークショップの企画、大学等での講演などを通じて、後進の育成に尽くされました。

鹿児島国際大学でも2017年11月に伊地智さんを招いて公開インタビュー(国際文化学部主催講演会)を開催し、半世紀以上にわたるプロデューサー人生を振り返っていただきました。国際大学の非常勤講師で映像ディレクターの久保理茎さんと私(小林)が聴き手を務めたのですが、後日、お礼のメッセージを差し上げたところ、「心地良い興奮の名残りがまだ続いています。(中略)若い子たちの顔がもっと見られたらもっと楽しかったとは思います。これが何かの始まりになるといいですね」とお返事をいただきました。学生をはじめとする「若い子たち」に自分の経験を伝えたいという強い思いをお持ちだったことが窺われます。

鹿児島で開催された画期的な映画祭「相米慎二、そして伊地智啓の映画上映会」(2016年)のトークイベントで作家の下重暁子さんを交えてお話しできたのも懐かしい思い出ですが、そのパンフレットに相米監督の代表作の一つ『夏の庭 The Friends』(1994年)について短評を書くよう勧めてくださったのも伊地智さんでした。

「映画では少年たちが老人とスイカを食べる場面が印象に残ります。研ぎあげられた包丁で切り分けたスイカにかぶりつくと、夕立の滴が脱ぎ捨てた下駄を濡らし、夏の陽に照らされて熱を帯びた土に柔らかく浸み込んでいく、あの場面です。スイカの旬も、老人と過ごす時間もやがて終わりますが、再びこの季が訪れ、スイカを食べるたびに、やがて大人になった少年たちは、あの夏の記憶を呼び起こし、老人を懐かしく思い出すのでしょう」

これから『夏の庭』を見る時は、三國連太郎が演じたあの老人に、伊地智さんの風貌を重ね合わせてしまうことになりそうです。伊地智さん、ありがとうございました。伊地智さんが気に入ってくださった短評の最後の文章を、お別れの言葉にします。「季節は再び巡り、記憶は繰り返し甦ります。別離はすべての終わりではないのです」

国際文化学科教授 小林 潤司(イギリス文学)